更新日:

2024年08月13日

出典:警察庁「薬物乱用のない社会を」(令和6年発行)

出典:警察庁「薬物乱用のない社会を」(令和4年発行)


先輩に誘われて・・・少年鑑別所で迎えた成人の日

私は、大学生のときにアルバイト先で知り合った先輩から誘われ、大麻を常習的に使用するようになってしまいました。

私は、大麻を始める前までは、大麻に対して「興味」があると同時に「恐怖」がありました。大麻は、使用すると音がよく聞こえたり、リラックスができたりすると先輩が言っていて、大麻に対して興味が沸いてきましたが、このときはまだ、大麻を使うと「罪を犯してしまう」という恐怖がありました。

でも結局、恐怖よりもだんだんと興味が膨らんでいき、誘われるがままに安易に大麻に手を出してしまいました。

なぜかというと、大麻を使用している人からは、大麻の良い効能ばかりを聞かされ、大麻は良いものだと勘違いするようになり、犯罪を犯してしまうという恐怖心が、いつからか「大麻をやっても警察に捕まることはないだろう」という、自分にとって都合のいい考えに変わってしまったからでした。

大麻を常習的に使用するようになってからは、自分が罪を犯しているという意識がだんだんと薄まっていってしまい、大麻を使用することに罪悪感を感じなくなっていきました。

このときの私はすでに、自分で自分の考えを変えることや、踏みとどまることができなくなり、正常な判断ができない状態でした。私が、大麻をやることは犯罪であると自覚したのは、既に警察に捕まった後でした。

私が大麻で捕まって気付いたことは、今まで当たり前のように過ごせていた日常が、本当はとても幸せなことだったということです。警察に逮捕されて、留置場や少年鑑別所に入り、今まで当たり前のように送れていた生活を失い、とても辛く苦しい思いをしました。

私が警察に逮捕されたことで、家族や友人に多大な迷惑と心配を掛けました。両親や友達の信頼を失い、これまで築いてきた周りの人との関係性を失ってしまったと思いました。

でも、私が社会復帰するにあたって支えてくれたのは、両親や友達でした。

私は、両親や友達等の周りの人間が私を支えてくれたからこそ、大麻との繋がりを絶つことができたと思っています。

私は、支えてくれる周りの人を大切にしたい、二度と裏切りたくないという思いから、二度と犯罪には手を染めないと強く誓いました。

私は今、大麻に少しでも興味を持ってしまっている人がいるとしたら、その人に、自分にとって大切なものは何かを考えてほしいと思っています。そして、大麻に手を出すと、自分にとって大切なものを失ってしまうということ、それがどんなに辛く苦しいことか気付いて欲しいと思っています。

私は、大麻に手を出したことで、一生に一度の思い出になるはずだった成人式に出席することができず、鑑別所の中で過ごしました。

私はこれから成人の日が来る度に、大麻で警察に捕まったあのときのことを思い出すでしょう。

みなさん、自分の人生を大切にしてください。

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息子を信じたい、でも・・・我が子を想う母の葛藤と苦悩の日々

私の息子は、24歳のときに大麻所持で警察に逮捕されました。

警察に通報したのは、母親である私です。

2年位前から、息子の様子がどこかおかしいと感じていました。

夜になると友達の家に行き、明け方に帰ってくる日や外泊する日が多くなり、アルバイトにはほぼ毎日遅刻。行かない日もありました。

常にイライラしていて、家では家族に当たり散らす。

記憶力が著しく低下。異常なほどに水を飲む。嫌いだった甘いお菓子を爆買いする・・・

一緒に生活していると、我が子の異変には気付きます。私は息子に何度か聞きました。「最近なんか様子おかしくない?」「大麻とか、薬物とかやってないよね?」

「やってない・・・。」毎回そう答える息子の言葉を信じようと思いました。

でも、やっぱり変だなと感じることが増えてきて、何かの薬物に手を出しているのではと思い始めました。

ある日の夜、息子の部屋で、小さなビニール袋に入った乾燥した葉っぱ片を見つけました。

「まさか、これは大麻?」という気持ちの後に、「警察に行かなければ。」「でもこれが本物の大麻だったら、息子のこれからの人生は終わってしまう。」私はそんなふたつの気持ちの間で心が揺れました。

でも、最終的には「本当に息子の将来のことを思うなら警察に行くべきだ。」と意を決して警察に行くことにしました。

警察で調べてもらうと、ビニール袋に入っていたものは、やはり大麻でした。

数日後、家に警察官が何人も来ました。そして、息子の部屋で大麻や吸引器具が見つかり、息子は逮捕されました。

私は、この光景を自分で覚悟していたものの、ガタガタ震えてきて涙が止まりませんでした。

息子が大麻に手を出し逮捕されたことで、大きく変わってしまったことがあります。

それは、私たち家族の関係性です。

息子が反省し、後悔もして、二度と大麻に手を出さないと裁判で誓った気持ちは本心だと思っています。でも、大麻には依存性があり、本人の意思とは別のところでコントロールできない危険な薬物です。

私は、息子が普段と少しでも様子が違うと、「もしかして、また?」という不安がよぎってしまうのです。常に息子を疑っているというのではなく、大麻(薬物)の依存性を恐れているのです。

私たち家族が抱くこの気持ちは、きっといつまでも続くと思います。そして、「もしかしたら息子がまた、大麻や他の薬物に手を出してしまうんじゃないか。」という不安は、おそらく死ぬまで消えないと思います。

家族は誰よりも分かり合えているはずなのに、自分の息子に対してこのような気持ちや不安を抱き続けなければならない関係になってしまったことは、私にとって耐えがたい苦悩です。

母親として、自分の息子を本当なら守ってやりたい、かばってやりたいはずなのに、息子が逮捕されるとわかっていて自ら警察に通報しなければならなかった私の葛藤とやりきれなさを想像してください。

大麻は、使った本人の体だけでなく、家族など大切な人との関係も壊していきます。

「一回だけ。」その一瞬の誤った判断で、自分にとって大切なものを失わないでください。

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家族への償い

祖父の家で親戚が集まっていた正月のある日、私は叔父から勧められ、「一回だけなら大丈夫だろう。」と軽い気持ちで覚醒剤に手を出してしまいました。

しかし、一度覚醒剤を知ってしまうと、その味を忘れることができず、数ヶ月後には叔父にお願いして覚醒剤を仕入れてもらうようになりました。

最初の頃は数ヶ月に1回買って使うだけで済んでいましたが、徐々に頻度が増えていき、警察に捕まった頃は1か月に3、4回は売人から買って、覚醒剤を使うようになっていました。

当時、私には妻と子どもがいましたが、金さえ入れば覚醒剤を買い、家族のことよりも覚醒剤のことを一番に考えるようになっていました。そのうちに、妻は子どもを連れて出て行きました。

手持ちの金がないときは、友達に適当な嘘をついて金を借り、その金で覚醒剤を買いました。当然、借りた金を返すことはできず、友達は全員、私から離れていきました。

大切な人からの信頼を失うと、覚醒剤を使ったことを後悔し、やめようと思うのですが、覚醒剤が体から抜けてくると、どうしても使わずにはいられなくて、結局やめられませんでした。

罪悪感から、両親とは顔を合わせることができず、親戚とも疎遠になりました。

高校卒業後から約10年勤めていた会社は、私が強く希望して入社した会社でしたが、覚醒剤の影響で2、3日寝続けるようなこともあって、無断欠勤が増え解雇されました。

その後、派遣の仕事などを転々としましたが、給料のほとんどを覚醒剤に使ってしまい、家賃や光熱費を滞納するようになりました。

人に会いたくなくなり、部屋に籠もって覚醒剤を使うだけの生活を続け、覚醒剤の効果が切れれば罪悪感にさいなまれ、精神的にも追い詰められ、うつ病と診断されました。

私は覚醒剤が効いている時は体中の毛を抜きたい衝動にかられ、気が付くと一晩中髪の毛を抜いていたこともあり、頭の一部が禿げてしまうほどでした。心身ともに疲弊し、生活は破綻していました。そんなとき、警察に逮捕されました。

私が住んでいたのは田舎でしたので、私が覚醒剤で逮捕されたことはあっという間に地元中に知れ渡ってしまい、両親や兄弟にはとても辛い思いをさせてしまいました。

今は、地元には帰りづらく、遠く離れた街でひとりで暮らしています。

私が最初に勤めていた会社の同世代の友人は、今ではある程度の役職に就いてバリバリ仕事をし、家族と幸せに暮らしていると聞きます。

私もあのとき、覚醒剤に手を出さなければ、友人らと同じように幸せに暮らせていたかもしれないと思うと、あの1回の覚醒剤を悔やんでも悔やみきれません。

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「誘われて」、「興味本位」から薬物依存へ

「一度使ってしまえばやめることはできない」と学校の授業で教わってきました。しかし、違法薬物はきっかけがあれば、ほんの少しの気の緩みにつけ込んでくるのです。

私は、19歳から大麻を吸うようになりました。当時の私は、スケートボードやヒップホップにはまっていて、本場のアメリカのニューヨークに思い切って行ったのが大麻との出会いの始まりでした。

ニューヨークの街を散策していた時のこと、裏通りを歩いていると知らない男から「大麻があるけど吸わないか」と声を掛けられたのです。大麻が違法な薬物であることは知っていましたし、私自身、違法薬物とは一線を引いていたつもりでしたが、「アメリカでは皆大麻を吸ってるよ」と言われ、海外だからバレないだろうし、1回くらいならやめられるだろうと、大麻を譲ってもらい吸ってしまいました。今では、その1回が失敗だったと深く後悔しています。

大麻を吸うと音が鮮明になったり、お酒を飲んだ時のようなフワフワする効果が得られ、私は大麻の虜になってしまいました。

日本に帰った後も知り合いのつてで大麻を仕入れ、吸うようになり、そればかりか数人の知人と一緒に大麻を密売するようにもなっていました。

私はいつしか、大麻で生計を立てるなど、完全に感覚が麻痺し、当時の彼女と同棲していたアパートに警察がやって来て、逮捕され、同居していた彼女も一緒に逮捕されました。

執行猶予付きの判決を受け、二度と大麻には手を出さないと誓ったはずが、執行猶予の期間が過ぎると再び大麻に手を出してしまいました。今度は、自分で吸うだけで、密売までしなければ、捕まらないと甘い考えがあったのです。しかし、再び警察に捕まりました。

自分は、絶対に違法薬物には手を出さないと思っていたのに、いつしか私は大麻に依存していたのです。誰もが学校などで、違法な薬物について学び、「自分は違法薬物に手を出したりしない」と自信を持っているのではないかと思います。しかし、薬物は想像以上に身近に存在し、ほんの少しのきっかけで使うようになり、いつしか依存し、やめることができなくなります。

大麻と無縁の暮らしがしたいです。

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薬物依存の息子を支える母の悩み

息子が覚醒剤で逮捕されたのは、今回で8回目になります。女手一つで、一人息子を大切に育ててきました。

最初に覚醒剤で捕まったのは20年くらい前のことで、パチンコ店で知り合った女性から覚醒剤をもらったことがきっかけだったそうです。

刑務所を出てきて少しの間は、真面目に生きようと家業を手伝ってくれたのですが、再び覚醒剤に手を出して警察に捕まってしまいました。

それからも、刑務所から出ては時間を置かずに覚醒剤で捕まることを繰り返していましたので、息子はこれまで定職に就いたことはありません。

息子には不自由をさせまいと、毎月小遣いを与えていたのですが、その小遣いで毎回覚醒剤を買っていました。

そして、そのお金がなくなると、家に置いている宝石など金目の物を売ってお金にしていました。今思えば、お金を渡していた私にも責任があるのだと反省しています。

息子は、警察の留置場や刑務所から、手紙を送ってきて、覚醒剤を使ったことを深く反省しているようでしたので、面会に行ってお金を差し入れたりしていました。

これまでに50万円ものお金を差し入れしたこともあり、担当の刑事さんから「甘やかしすぎる」と毎回叱られるのですが、送られてくる息子の手紙を見てはかわいそうになり、面会や差し入れを止めることができません。

息子は、本当に気が小さく、周りからの評価をすごく気にする性格で、優しい心を持っています。私としては、これっきりで覚醒剤と縁を切ってくれればという思いでいるのですがその思いは毎回裏切られます。それでも「もしかすると、今回で最後にしてくれるかもしれない」という思いが消えず、息子のことを信用してお金を出してしまいます。

しかし、私もお金を出すばかりではなく、覚醒剤と縁を切らせるため、病院や支援施設に何度か相談をしたことがあるのですが、最後は本人の気持ちが大事だそうで、本人が希望しないと入院はできないし、治療も難しいという話を聞かされました。今回も刑務所から出てきてからは、しばらくはおとなしく家の手伝いをしてくれましたが、再び覚醒剤を使って警察に捕まりました。

息子も40歳を超えました。普通なら、とうに結婚して子どももいる年ですが、結婚はおろか、職にも就いていません。これまでに自分で携帯電話のお金を払ったことはありませんし、自分で車を買ったこともありません。本当に、自分の力で手に入れた物は何一つないのです。

私も高齢となり、いつまでも息子の面倒を見ることができませんので、今回息子が捕まってからは、意を決して面会も差し入れもしていませんでした。

息子からは、頻繁に手紙が届きます。手紙が届くたびに、これで良かったのかと悩み、苦しんでいます。これまでと同じように、お金の差し入れをしてやれば、どれほど楽だろうかと思います。手紙が入った白い封筒が届くたびに、気持ちが重くなります。

私も病院に通い、安定剤や睡眠薬をもらっている状態です。「息子には一切関わり合いたくない。」「こんな息子なんて、いっそのこと死んでしまったらよいのに」と思うのですが、息子から届いた手紙を読むと「冬を迎え、寒い思いをしているだろう」とかわいそうになり、とうとう1万円を差し入れてしまいました。

いつまでこのようなことが続くのでしょうか。

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家族への償い

私の薬物乱用人生は、高校時代に悪仲間に誘われて吸ったシンナーから始まりました。そして、20歳のころ、先輩から誘われ、覚醒剤も乱用するようになりました。その後、23歳で結婚、妻や子供ができたことで、一時は覚醒剤から離れましたが、離婚を期に、また覚醒剤を乱用するようになってしまいました。

この頃から何をやっても長続きせず、仕事を転々とし、最後にはヤクザにも入りました。当時の私の生活は覚醒剤が最優先で、覚醒剤の量も少量では高揚感が得られず、効き目を求めて量が増えていきました。当然、覚醒剤を手に入れるにはお金が必要で、親や親戚、知り合いに嘘をついては無心し、覚醒剤のお金を用立てていました。

住んでいたアパートも家賃の滞納で何度も追い出され、親から縁を切られ、実の息子とも疎遠になっていきました。

覚醒剤を使い続けていたせいかわかりませんが、私は脳梗塞で倒れ入院をし、現在も後遺症が残り、不自由な生活を送っています。今考えれば、覚醒剤を血管に入れて使い続けていたのが原因だと思います。

私も60半ばとなり、覚醒剤から足を洗い10年が過ぎました。なんとか生活はできていますが、3年前に田舎で暮らす母親が亡くなったことを風の便りで聞き、母の死に目にも会えなかったことが悔やまれます。また、息子は結婚し、子供もいるようです。孫を一目でも見たいと思っているのですが、それも許されません。

これも私が覚醒剤を乱用していた私への報いだと思っています。

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情報発信元

神奈川県警察本部 組織犯罪対策本部薬物銃器対策課

電話:045-211-1212(代表)