薬物乱用者の手記
更新日:
2025年10月27日
出典:警察庁「薬物乱用のない社会を」(令和7年発行)
- 危険ドラッグから覚醒剤へ 今でも残る覚醒剤使用の代償(元覚醒剤乱用者、30歳代、男性)
- 「もっと一緒にいたい」忘れられない妹の泣き顔 逮捕されて気付いた家族の絆(元大麻乱用者、10歳代、男性)
- 「まさか孫が・・・」孫の成長と更生を見守る祖父の眼差し(大麻乱用者の家族、70歳代、男性)
出典:警察庁「薬物乱用のない社会を」(令和6年発行)
- 先輩に誘われて・・・少年鑑別所で迎えた成人の日(元大麻乱用者、20歳代、男性)
- 息子を信じたい、でも・・・我が子を想う母の葛藤と苦悩の日々(大麻乱用者の家族、50歳代、女性)
- 家族への償い(覚醒剤乱用者、60歳代、男性)
出典:警察庁「薬物乱用のない社会を」(令和4年発行)
危険ドラッグから覚醒剤へ 今でも残る覚醒剤使用の代償
私が、初めて覚醒剤に手を染めたのは、24歳の頃でした。
その当時の私は、昼夜を問わず仕事に追われ、精神的なストレスが溜まっており、そんな中、遊び仲間に誘われ、当時は「合法ドラッグ」とも言われていた危険ドラッグを使うようになりました。
危険ドラッグを使っていくうちに、薬物を使うことへの抵抗感はなくなっていきました。
その後仲間からいつも使っている危険ドラッグとは違う薬物を勧められ、初めて覚醒剤を使いました。
私は、使った後に仲間からそれが覚醒剤であることを知らされましたが、「覚醒剤ってこんなにいいものなのか」と感じたくらいで、罪悪感は一切ありませんでした。
当然ながら、覚醒剤を持っていたり使ったりすることは、法律で禁止されていると知っていましたが、「誰にも迷惑をかけているわけではない」と考えていましたし、「やめようと思えばやめられる、大丈夫だろう」、「自分で使っているだけなら警察に捕まることはないだろう」と自信を持っていました。
後から考えると、覚醒剤を使うということへの罪悪感から自分に言い聞かせていただけだと思います。
そのような感覚で覚醒剤を使い続けていると、しばらくして警察に逮捕されることとなりました。
この時に逮捕された件については、幸いにも執行猶予付きの判決であったことから、その後は、両親と一緒に生活しながら、会社員として働くことになりました。
私は一度捕まったことを自分なりに反省し、覚醒剤をやめようと思って新たな生活を始めたわけですが、釈放され、平穏な日常生活を送っている今でも、覚醒剤に対する恐ろしさを感じる時があります。
その恐ろしさは2つあり、1つは、家族以外の人に覚醒剤で逮捕された事実を隠し続けなければいけないことです。
仕事で海外に行かなければならない時に覚醒剤の前科があれば入国できない可能性があり、出張を断る理由を会社にどのように説明しようか考えたり、仕事で必要な資格や許可を取得する場合、もし覚醒剤の前科があることを理由に取得できないようなことがあれば、周りにバレるかもしれないなどと不安になることがあります。
このような不安な気持ちが大きくなってくると、覚醒剤を使って現実逃避したくなる時があります。
2つ目は、覚醒剤のフラッシュバックです。これが起きるのは、何もすることがない時や疲れている時などが多く、些細なきっかけで起こります。
例えばテレビのニュースで覚醒剤の映像が流れると、覚醒剤を使う前のワクワク感を思い出し、呼吸が荒くなり、覚醒剤を使わなくてはこの衝動は収まらないという気持ちになってしまうのです。
私はその対処法として、誰かに電話をして気持ちを落ち着かせたり、家族や人がいる場所に行くなどして、覚醒剤を使いたいという衝動を抑えています。
私が逮捕されてから約6年が経過しましたが、今でもこのような状況が続いています。
一瞬の甘い考えで違法な薬物に手を出せば、一生戦い続けなくてはならない代償を背負うことになります。
これを読んでいただいた方にそのことが伝わり、薬物の危険性を理解していただけることを願っています。
「もっと一緒にいたい」忘れられない妹の泣き顔 逮捕されて気付いた家族の絆
今回、僕は大麻を持っていた罪で逮捕されました。
僕が初めて大麻を使ったのは、「大麻を使うとどんな感じになるんだろう」という漠然とした興味からでした。
大麻は、危険な違法薬物であることは分かっていましたが、僕自身、抵抗感はありませんでした。
インターネットで大麻のことを検索すると、大麻が身体に何かしら有効だというような記事がでてきますが、有効だとか危険じゃないとかは関係なく、法律に違反する物である以上、関わることによって僕のように逮捕され、罰を受けることになってしまうのです。
僕が大麻を使ったことを一番後悔したのは、逮捕された後、警察署で母や兄、祖父、そして、幼い妹と面会をした時です。
面会室でアクリル板越しに面会するだけでも申し訳ないと思っていたのですが、面会に来てくれた家族は、僕と会ってみんな泣いていました。
これまで、母にはたくさん迷惑をかけてきましたが、あんなに泣いた母を見たのは初めてでした。
普段僕に厳しかった兄も県外で暮らしているのにわざわざ面会に来てくれて、僕の顔を見て泣いてくれました。
そして、幼い妹も一緒に面会に来てくれましたが、面会が終わる時間になっても僕ともっと話がしたい、もっと一緒にいたいと号泣して帰ろうとしませんでした。
普段、妹がそこまで泣くことはなかったのですが、アクリル板越しに僕の情けない姿を見て、何か感じるものがあったのだろうと思います。
今も、その時の妹の顔が脳裏に焼きついて、二度と忘れることはできません。
そうして家族と面会した時に初めて僕がしてしまった事の重大さを身に染みて感じ、なんてことをしてしまったのだと、今はただただ後悔しかありません。
このように逮捕された後では遅いのですが、自分が犯した大きな過ちに気付き、心配や迷惑をかけた家族には、心から謝りたいと思います。
人によっては、大麻などの薬物事件は誰にも迷惑はかけず、自分だけの問題だという人もいますが、そんなことはありません。
僕は、家族に負担をかけ、大きな心配と迷惑をかけました。
それでも、家族は僕を心配して度々面会に来てくれたことに本当に申し訳なく、情けない思いで一杯になり、後悔しても後悔しきれない虚しさで、毎日涙が出てきます。
違法薬物につまらない興味を持ち、一時の快楽のために手を出してしまうと、人生を投げ出し、身を滅ぼしてしまうことになります。
たった一度でも、手を出してしまえば取り返しはつかないし、そのせいで今まで築いてきた家族との絆や信頼が一瞬で崩れ去ってしまいます。
これから先、どうすれば家族との絆や信頼を取り戻すことができるのか、これから僕はそのことを考えながら、反省の日々を過ごします。
世界のどこかでは、今、この瞬間も大麻を使おうとしている人達がいるかもしれません。
僕の経験を知ってもらって、一人でも多くの人が僕と同じような思いをしないように、違法薬物に手を出さないようになればいいなと思っています。
「まさか孫が・・・」孫の成長と更生を見守る祖父の眼差し
私の孫は、十代の時に大麻を所持していたということで、警察に逮捕されました。
孫はこの日、友人と遊びに行くと言って私の家を出たのですが、警察から孫が捕まったとの連絡をもらった時、私はそのようなことを全く予期していなかったため、「まさか孫が」と驚きを隠せませんでした。
孫は未熟児として生まれ、そのせいもあったのかもしれませんが、孫の両親は大事に優しく孫を育てていました。
孫の性格といえば、恥ずかしがり屋で人の目を気にしすぎる面もありましたが、親の言うことに反抗することもなく、素直でいい子に育っていたと思います。
孫は高校を卒業した後、父親の知り合いに紹介してもらった会社に就職したものの、職場でいじめに遭い、すぐに仕事を辞めてしまいました。
それ以降、ふらふらと遊びまわり、仕事を始める様子もなかったため、工場を営む私のところに住み込みで働くことになりました。
一緒に生活するようになってから、孫の様子を見ていたのですが、何でも自分で決断することができず、嫌なことがあればすぐに逃げ出すような性格になっていました。
私としても自分の元で生活することになり、真面目に仕事に取り組むか心配していたのですが、ある日孫の友人から、「大麻をしている連中と付き合いをしているようだ」と教えられ、私としても「まさか私の孫が大麻をしているなんてただの噂だろう」と信じられない気持ちでした。
ただ、今になって思い返してみると、私の元で生活し始めた孫には「約束の時間を守れない」、「仕事があるのに起きてこない」、「夜、遊びに行くと朝まで帰ってこない」など、悪いことをする前兆ともいえる行動がいくつかありました。
正直、私もそれまでの孫との付き合い方として、私が良いと思うことを孫に提案し、それを孫にさせるようにしていましたが、孫が自主的に道筋を選んで何かを行うようなことはなかったかもしれません。
孫は大麻で捕まった後、すぐにまた大麻を所持したということで再び警察に捕まりました。
こうやって何度も捕まるのは、道徳観念が欠如していたからだろうと思います。
家族としてもこれから、本人の成長を見守っていくことになると思いますが、大麻という違法薬物は依存性のあるものだということは分かっていますので、これからは、普段の生活の中で孫の小さな変化も見逃さないよう、緊張感を持って接しなければいけないと思っています。
もし、私の孫のように、警察に逮捕されたり、新聞に載るようなことがあれば、地域からも腫物扱いされ、家族で引っ越しを迫られるようなことになるかもしれません。
今、薬物に興味があり、使ってみたいと思っている人がいれば、それが自分の人生においてどれだけ悪い影響を与えるものなのか、また周りの家族にもどれだけ心配や苦労をかけるものか想像してもらいたいと思います。
私もこれから先、孫が薬物に二度と手を染めることがないよう、しっかりと孫を見守っていきたいと思います。
先輩に誘われて・・・少年鑑別所で迎えた成人の日
私は、大学生のときにアルバイト先で知り合った先輩から誘われ、大麻を常習的に使用するようになってしまいました。
私は、大麻を始める前までは、大麻に対して「興味」があると同時に「恐怖」がありました。大麻は、使用すると音がよく聞こえたり、リラックスができたりすると先輩が言っていて、大麻に対して興味が沸いてきましたが、このときはまだ、大麻を使うと「罪を犯してしまう」という恐怖がありました。
でも結局、恐怖よりもだんだんと興味が膨らんでいき、誘われるがままに安易に大麻に手を出してしまいました。
なぜかというと、大麻を使用している人からは、大麻の良い効能ばかりを聞かされ、大麻は良いものだと勘違いするようになり、犯罪を犯してしまうという恐怖心が、いつからか「大麻をやっても警察に捕まることはないだろう」という、自分にとって都合のいい考えに変わってしまったからでした。
大麻を常習的に使用するようになってからは、自分が罪を犯しているという意識がだんだんと薄まっていってしまい、大麻を使用することに罪悪感を感じなくなっていきました。
このときの私はすでに、自分で自分の考えを変えることや、踏みとどまることができなくなり、正常な判断ができない状態でした。私が、大麻をやることは犯罪であると自覚したのは、既に警察に捕まった後でした。
私が大麻で捕まって気付いたことは、今まで当たり前のように過ごせていた日常が、本当はとても幸せなことだったということです。警察に逮捕されて、留置場や少年鑑別所に入り、今まで当たり前のように送れていた生活を失い、とても辛く苦しい思いをしました。
私が警察に逮捕されたことで、家族や友人に多大な迷惑と心配を掛けました。両親や友達の信頼を失い、これまで築いてきた周りの人との関係性を失ってしまったと思いました。
でも、私が社会復帰するにあたって支えてくれたのは、両親や友達でした。
私は、両親や友達等の周りの人間が私を支えてくれたからこそ、大麻との繋がりを絶つことができたと思っています。
私は、支えてくれる周りの人を大切にしたい、二度と裏切りたくないという思いから、二度と犯罪には手を染めないと強く誓いました。
私は今、大麻に少しでも興味を持ってしまっている人がいるとしたら、その人に、自分にとって大切なものは何かを考えてほしいと思っています。そして、大麻に手を出すと、自分にとって大切なものを失ってしまうということ、それがどんなに辛く苦しいことか気付いて欲しいと思っています。
私は、大麻に手を出したことで、一生に一度の思い出になるはずだった成人式に出席することができず、鑑別所の中で過ごしました。
私はこれから成人の日が来る度に、大麻で警察に捕まったあのときのことを思い出すでしょう。
みなさん、自分の人生を大切にしてください。
息子を信じたい、でも・・・我が子を想う母の葛藤と苦悩の日々
私の息子は、24歳のときに大麻所持で警察に逮捕されました。
警察に通報したのは、母親である私です。
2年位前から、息子の様子がどこかおかしいと感じていました。
夜になると友達の家に行き、明け方に帰ってくる日や外泊する日が多くなり、アルバイトにはほぼ毎日遅刻。行かない日もありました。
常にイライラしていて、家では家族に当たり散らす。
記憶力が著しく低下。異常なほどに水を飲む。嫌いだった甘いお菓子を爆買いする・・・
一緒に生活していると、我が子の異変には気付きます。私は息子に何度か聞きました。「最近なんか様子おかしくない?」「大麻とか、薬物とかやってないよね?」
「やってない・・・。」毎回そう答える息子の言葉を信じようと思いました。
でも、やっぱり変だなと感じることが増えてきて、何かの薬物に手を出しているのではと思い始めました。
ある日の夜、息子の部屋で、小さなビニール袋に入った乾燥した葉っぱ片を見つけました。
「まさか、これは大麻?」という気持ちの後に、「警察に行かなければ。」「でもこれが本物の大麻だったら、息子のこれからの人生は終わってしまう。」私はそんなふたつの気持ちの間で心が揺れました。
でも、最終的には「本当に息子の将来のことを思うなら警察に行くべきだ。」と意を決して警察に行くことにしました。
警察で調べてもらうと、ビニール袋に入っていたものは、やはり大麻でした。
数日後、家に警察官が何人も来ました。そして、息子の部屋で大麻や吸引器具が見つかり、息子は逮捕されました。
私は、この光景を自分で覚悟していたものの、ガタガタ震えてきて涙が止まりませんでした。
息子が大麻に手を出し逮捕されたことで、大きく変わってしまったことがあります。
それは、私たち家族の関係性です。
息子が反省し、後悔もして、二度と大麻に手を出さないと裁判で誓った気持ちは本心だと思っています。でも、大麻には依存性があり、本人の意思とは別のところでコントロールできない危険な薬物です。
私は、息子が普段と少しでも様子が違うと、「もしかして、また?」という不安がよぎってしまうのです。常に息子を疑っているというのではなく、大麻(薬物)の依存性を恐れているのです。
私たち家族が抱くこの気持ちは、きっといつまでも続くと思います。そして、「もしかしたら息子がまた、大麻や他の薬物に手を出してしまうんじゃないか。」という不安は、おそらく死ぬまで消えないと思います。
家族は誰よりも分かり合えているはずなのに、自分の息子に対してこのような気持ちや不安を抱き続けなければならない関係になってしまったことは、私にとって耐えがたい苦悩です。
母親として、自分の息子を本当なら守ってやりたい、かばってやりたいはずなのに、息子が逮捕されるとわかっていて自ら警察に通報しなければならなかった私の葛藤とやりきれなさを想像してください。
大麻は、使った本人の体だけでなく、家族など大切な人との関係も壊していきます。
「一回だけ。」その一瞬の誤った判断で、自分にとって大切なものを失わないでください。
家族への償い
祖父の家で親戚が集まっていた正月のある日、私は叔父から勧められ、「一回だけなら大丈夫だろう。」と軽い気持ちで覚醒剤に手を出してしまいました。
しかし、一度覚醒剤を知ってしまうと、その味を忘れることができず、数ヶ月後には叔父にお願いして覚醒剤を仕入れてもらうようになりました。
最初の頃は数ヶ月に1回買って使うだけで済んでいましたが、徐々に頻度が増えていき、警察に捕まった頃は1か月に3、4回は売人から買って、覚醒剤を使うようになっていました。
当時、私には妻と子どもがいましたが、金さえ入れば覚醒剤を買い、家族のことよりも覚醒剤のことを一番に考えるようになっていました。そのうちに、妻は子どもを連れて出て行きました。
手持ちの金がないときは、友達に適当な嘘をついて金を借り、その金で覚醒剤を買いました。当然、借りた金を返すことはできず、友達は全員、私から離れていきました。
大切な人からの信頼を失うと、覚醒剤を使ったことを後悔し、やめようと思うのですが、覚醒剤が体から抜けてくると、どうしても使わずにはいられなくて、結局やめられませんでした。
罪悪感から、両親とは顔を合わせることができず、親戚とも疎遠になりました。
高校卒業後から約10年勤めていた会社は、私が強く希望して入社した会社でしたが、覚醒剤の影響で2、3日寝続けるようなこともあって、無断欠勤が増え解雇されました。
その後、派遣の仕事などを転々としましたが、給料のほとんどを覚醒剤に使ってしまい、家賃や光熱費を滞納するようになりました。
人に会いたくなくなり、部屋に籠もって覚醒剤を使うだけの生活を続け、覚醒剤の効果が切れれば罪悪感にさいなまれ、精神的にも追い詰められ、うつ病と診断されました。
私は覚醒剤が効いている時は体中の毛を抜きたい衝動にかられ、気が付くと一晩中髪の毛を抜いていたこともあり、頭の一部が禿げてしまうほどでした。心身ともに疲弊し、生活は破綻していました。そんなとき、警察に逮捕されました。
私が住んでいたのは田舎でしたので、私が覚醒剤で逮捕されたことはあっという間に地元中に知れ渡ってしまい、両親や兄弟にはとても辛い思いをさせてしまいました。
今は、地元には帰りづらく、遠く離れた街でひとりで暮らしています。
私が最初に勤めていた会社の同世代の友人は、今ではある程度の役職に就いてバリバリ仕事をし、家族と幸せに暮らしていると聞きます。
私もあのとき、覚醒剤に手を出さなければ、友人らと同じように幸せに暮らせていたかもしれないと思うと、あの1回の覚醒剤を悔やんでも悔やみきれません。
「誘われて」、「興味本位」から薬物依存へ
「一度使ってしまえばやめることはできない」と学校の授業で教わってきました。しかし、違法薬物はきっかけがあれば、ほんの少しの気の緩みにつけ込んでくるのです。
私は、19歳から大麻を吸うようになりました。当時の私は、スケートボードやヒップホップにはまっていて、本場のアメリカのニューヨークに思い切って行ったのが大麻との出会いの始まりでした。
ニューヨークの街を散策していた時のこと、裏通りを歩いていると知らない男から「大麻があるけど吸わないか」と声を掛けられたのです。大麻が違法な薬物であることは知っていましたし、私自身、違法薬物とは一線を引いていたつもりでしたが、「アメリカでは皆大麻を吸ってるよ」と言われ、海外だからバレないだろうし、1回くらいならやめられるだろうと、大麻を譲ってもらい吸ってしまいました。今では、その1回が失敗だったと深く後悔しています。
大麻を吸うと音が鮮明になったり、お酒を飲んだ時のようなフワフワする効果が得られ、私は大麻の虜になってしまいました。
日本に帰った後も知り合いのつてで大麻を仕入れ、吸うようになり、そればかりか数人の知人と一緒に大麻を密売するようにもなっていました。
私はいつしか、大麻で生計を立てるなど、完全に感覚が麻痺し、当時の彼女と同棲していたアパートに警察がやって来て、逮捕され、同居していた彼女も一緒に逮捕されました。
執行猶予付きの判決を受け、二度と大麻には手を出さないと誓ったはずが、執行猶予の期間が過ぎると再び大麻に手を出してしまいました。今度は、自分で吸うだけで、密売までしなければ、捕まらないと甘い考えがあったのです。しかし、再び警察に捕まりました。
自分は、絶対に違法薬物には手を出さないと思っていたのに、いつしか私は大麻に依存していたのです。誰もが学校などで、違法な薬物について学び、「自分は違法薬物に手を出したりしない」と自信を持っているのではないかと思います。しかし、薬物は想像以上に身近に存在し、ほんの少しのきっかけで使うようになり、いつしか依存し、やめることができなくなります。
大麻と無縁の暮らしがしたいです。
薬物依存の息子を支える母の悩み
息子が覚醒剤で逮捕されたのは、今回で8回目になります。女手一つで、一人息子を大切に育ててきました。
最初に覚醒剤で捕まったのは20年くらい前のことで、パチンコ店で知り合った女性から覚醒剤をもらったことがきっかけだったそうです。
刑務所を出てきて少しの間は、真面目に生きようと家業を手伝ってくれたのですが、再び覚醒剤に手を出して警察に捕まってしまいました。
それからも、刑務所から出ては時間を置かずに覚醒剤で捕まることを繰り返していましたので、息子はこれまで定職に就いたことはありません。
息子には不自由をさせまいと、毎月小遣いを与えていたのですが、その小遣いで毎回覚醒剤を買っていました。
そして、そのお金がなくなると、家に置いている宝石など金目の物を売ってお金にしていました。今思えば、お金を渡していた私にも責任があるのだと反省しています。
息子は、警察の留置場や刑務所から、手紙を送ってきて、覚醒剤を使ったことを深く反省しているようでしたので、面会に行ってお金を差し入れたりしていました。
これまでに50万円ものお金を差し入れしたこともあり、担当の刑事さんから「甘やかしすぎる」と毎回叱られるのですが、送られてくる息子の手紙を見てはかわいそうになり、面会や差し入れを止めることができません。
息子は、本当に気が小さく、周りからの評価をすごく気にする性格で、優しい心を持っています。私としては、これっきりで覚醒剤と縁を切ってくれればという思いでいるのですがその思いは毎回裏切られます。それでも「もしかすると、今回で最後にしてくれるかもしれない」という思いが消えず、息子のことを信用してお金を出してしまいます。
しかし、私もお金を出すばかりではなく、覚醒剤と縁を切らせるため、病院や支援施設に何度か相談をしたことがあるのですが、最後は本人の気持ちが大事だそうで、本人が希望しないと入院はできないし、治療も難しいという話を聞かされました。今回も刑務所から出てきてからは、しばらくはおとなしく家の手伝いをしてくれましたが、再び覚醒剤を使って警察に捕まりました。
息子も40歳を超えました。普通なら、とうに結婚して子どももいる年ですが、結婚はおろか、職にも就いていません。これまでに自分で携帯電話のお金を払ったことはありませんし、自分で車を買ったこともありません。本当に、自分の力で手に入れた物は何一つないのです。
私も高齢となり、いつまでも息子の面倒を見ることができませんので、今回息子が捕まってからは、意を決して面会も差し入れもしていませんでした。
息子からは、頻繁に手紙が届きます。手紙が届くたびに、これで良かったのかと悩み、苦しんでいます。これまでと同じように、お金の差し入れをしてやれば、どれほど楽だろうかと思います。手紙が入った白い封筒が届くたびに、気持ちが重くなります。
私も病院に通い、安定剤や睡眠薬をもらっている状態です。「息子には一切関わり合いたくない。」「こんな息子なんて、いっそのこと死んでしまったらよいのに」と思うのですが、息子から届いた手紙を読むと「冬を迎え、寒い思いをしているだろう」とかわいそうになり、とうとう1万円を差し入れてしまいました。
いつまでこのようなことが続くのでしょうか。
家族への償い
私の薬物乱用人生は、高校時代に悪仲間に誘われて吸ったシンナーから始まりました。そして、20歳のころ、先輩から誘われ、覚醒剤も乱用するようになりました。その後、23歳で結婚、妻や子供ができたことで、一時は覚醒剤から離れましたが、離婚を期に、また覚醒剤を乱用するようになってしまいました。
この頃から何をやっても長続きせず、仕事を転々とし、最後にはヤクザにも入りました。当時の私の生活は覚醒剤が最優先で、覚醒剤の量も少量では高揚感が得られず、効き目を求めて量が増えていきました。当然、覚醒剤を手に入れるにはお金が必要で、親や親戚、知り合いに嘘をついては無心し、覚醒剤のお金を用立てていました。
住んでいたアパートも家賃の滞納で何度も追い出され、親から縁を切られ、実の息子とも疎遠になっていきました。
覚醒剤を使い続けていたせいかわかりませんが、私は脳梗塞で倒れ入院をし、現在も後遺症が残り、不自由な生活を送っています。今考えれば、覚醒剤を血管に入れて使い続けていたのが原因だと思います。
私も60半ばとなり、覚醒剤から足を洗い10年が過ぎました。なんとか生活はできていますが、3年前に田舎で暮らす母親が亡くなったことを風の便りで聞き、母の死に目にも会えなかったことが悔やまれます。また、息子は結婚し、子供もいるようです。孫を一目でも見たいと思っているのですが、それも許されません。
これも私が覚醒剤を乱用していた私への報いだと思っています。
情報発信元
神奈川県警察本部 組織犯罪対策本部薬物銃器対策課
電話:045-211-1212(代表)