逗子警察署の沿革
- 明治10年(1877)2月
横須賀警察署が設置され、田越村(現逗子市)はその管轄下におかれた。
- 明治43年(1910)4月
葉山町に横須賀警察署葉山分署が設置されたのに伴い、田越村は葉山分署の管轄下となる。
- 大正3年(1914)年7月
逗子警察署の前身である逗子巡査部長派出所が新設され、逗子・新宿・小坪・桜山・池子の各巡査駐在所を監督した。
- 大正9年(1920)1月
横須賀警察署から葉山分署が独立して葉山警察署になり、葉山分署逗子巡査部長派出所は、葉山警察署巡査部長派出所と名称を変更した。
- 大正12年(1923)10月
逗子巡査部長派出所は警部補派出所に昇格する。
- 昭和18年4月
太平洋戦争中、逗子町が横須賀市に合併されたのに伴い、横須賀警察署逗子警部補派出所と改称した。
- 昭和23年3月
自治体警察制度の施行により、横須賀市警察逗子警察署が発足。
- 昭和25年7月
横須賀市から逗子町が分離独立したのに伴い逗子町警察署と改称した。
- 昭和27年6月
逗子地区警察署と改称した。
- 昭和29年7月
再度の警察制度の改革により神奈川県逗子警察署と改称した。
- 昭和48年3月30日
現在の庁舎を市内桜山に新築、移転し現在に至っている
殉職者
大正3(1914)年7月、逗子町に逗子巡査部長派出所が設置されて以来、逗子警察署では、2名の警察官が殉職しています。
逗子警察署は、二度と殉職者を出さないこと、安全で安心して暮らせる街づくりに全力を尽くします。
葉山警察署逗子町警部補派出所 中村道夫警部補
殉職日時 | 大正13年12月22日 享年42歳 |
殉職場所 | 神奈川県鎌倉町額田病院 |
略歴 | 千葉県君津郡真舟村に生れ育つ。村の祥雲寺住職を勤めていたが、33歳でで神奈川県巡査を拝命、横須賀警察署三崎分署、加賀町、川崎、寿各警察署、警察本部等を歴任後、大正13年3月警部補に昇任、葉山警察署逗子警部補派出所の初代所長に着任。 |
殉職の模様 | 中村警部補は、大正13年3月警部補に着任して、葉山警察署の逗子警部補派出所の初代所長に着任。 同年10月17日午前2時ころ、逗子町内で侵入盗が連続発生したことから管内を警ら中、路上において挙動不審者を発見し職務質問したところ、やにわに中村警部補の胸部を殴りつけ逃走、約20分にわたる格闘の末、被疑者を逮捕したが、外傷性肋膜炎を発症して、治療の甲斐なく12月22日42歳で殉職を遂げた。 |
逗子警察署沼間駐在所 山田文雄警部補
殉職日時 | 昭和23年5月28日 享年19歳 |
殉職場所 | 神奈川県逗子市宮の前踏切上 |
略歴 | 新潟県長岡市に生れる。19歳で警察官を拝命、昭和23年4月横須賀市巡査として逗子警察署に配置された。 |
殉職の模様 | 山田巡査は、19歳で警察官を拝命し、昭和23年4月横須賀市逗子警察署に配置された。 同年5月27日、沼間において、5人組による強盗事件が発生したことから、懸命な捜査に従事していた。 翌28日、発生現場に赴くため自転車を押しながら、宮の前踏切を通行中、横須賀線列車に跳ね飛ばされ、数メートル離れた電柱に衝突し、脳底損傷によりその場で即死、殉職を遂げた。 |