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金沢区の名所・旧跡



目次
  金沢八景   南部市場
  称名寺   横浜・八景島シーパラダイス
  慶珊寺   明治憲法起草地の碑
  瀬戸神社   富岡総合公園
  金沢文庫   富岡八幡宮
  金沢自然公園   野島公園
  海の公園   能見堂
  三井アウトレットパーク横浜ベイサイド



金沢八景



  今から約500年前、金沢は房総との海上交通の関係で、付近では最も開けた地でした。近江八景ができたころには金沢八景の名も付けられたと思われ、慶長19年(1614)の「名所時和歌物語」には金沢八景のことが載っており、当時の八景は、中国の「瀟湘(しょうしょう)八景」をまねたものでした。その後の元禄7年(1694)ころ、心越禅師が金沢を通った際に残した8つの歌と風景を結び付けて名称ができました。

  また、能見堂(称名寺の西北の山上にあり、禅宗で本尊は地蔵菩薩である)から見た眺望は第一といわれています。広重をはじめ八景の図はいろいろと描かれていますが、今は昔の面影はありません。

  「金沢八景」とは、州崎晴嵐、瀬戸秋月、小泉夜雨、乙艫帰帆、称名晩鐘、平潟落雁、野島夕照、内川暮雪です。

称名寺



  称名寺は、金沢山弥勒院称名寺と称し、真言律宗別格本山です。執権・北条義時の孫である引付衆(現在の最高裁判事)の実時が、所領の六浦庄金沢に不断念仏衆が往した念仏堂に小寺を建立しました。これが生嘉2年(1258)ころ、称名寺となったと推定されています。その後、奈良の西大寺の末寺として真言律宗に改宗、文永4年(1267)に妙性房審海が往来して開山しました。

  現在の梵鐘は、北条顕時が寄進したもので、「称名寺の晩鐘」として金沢八景の1つとなっています。

  その後、北条氏の滅亡によって最大の庇護者を失った称名寺は衰運の一途をたどり、大宝院・一の宝・海岸寺など最近までありましたが、現在は参道左側にある光明院の門が最古の建物となりました。なお、称名寺には、金堂・釈迦堂・鐘楼・仁王門・赤門・新宮の6つが現存しています。

  国宝としては、書跡の文選集注19巻、重要文化財では、絵画として北条実時像など4点、彫刻として厨子入金属製愛染明王坐像など3点、工芸品として銅鐘など2点、書跡として称名寺伽藍古図など10数点を保有しています。本堂の北東約200メートルの稲荷山の山陰には、北条実時の墓があります。




称名寺
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慶珊寺



  慶珊寺は、花翁山と号し真言宗御室派で本尊は大日如来であり、寛永元年(1624)に豊島刑部小輔信満が父母の菩提を弔うために創建し、開山は伝栄上人です。

  父の豊島明重は徳川家康に仕えて富岡を采地として1700石を給されていました。什宝に、十一面観音半跏像と大般若経83巻があります。十一面観音は木造、正慶元年(1332)仏師院光(誉)作。岩座に右手をつき、片足を垂れ、くつろいだ姿で、頭髪衣文の刻出がはっきりし、宋風の自由な表現を示した典型的な作品です。頭の上にある化仏が欠けていますが、県指定の重要文化財になっています。

瀬戸神社



  瀬戸神社は、治承4年(1180)に源頼朝が三島明神を勧請したと伝えられ、主祭神はオオヤマズミノミコトですが、菅原道真など14柱が合祀され、金沢の称名寺とともに100石の御朱印地を与えられ徳川の尊崇を受けていました。社殿は権現造りで、社宝として頼朝が奉納したという獅子頭などがあります。




瀬戸神社

金沢文庫



  金沢文庫は、鎌倉時代に北条実時によって称名寺境内の阿弥陀堂跡に設けられたもので、数万巻にのぼる蔵書を誇り、この文庫が後世まで学術に資した点では足利学校以上のものがあります。

  その蔵書は神祇・歴史・文学・語学・儒教・兵学・医学・音楽など多くの部門を含み、千文字の字をもって整理され、武士をはじめ僧侶などに利用されたそうです。鎌倉幕府滅亡後は蔵書の移出が激しく、相当数が散逸しました。




金沢文庫
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金沢自然公園



  金沢自然公園の標高は、最も高い所で130メートルで、全体に急傾斜地や崖地の多い起伏に富んだ地形で、園内には3本の大きな尾根が走っています。表層地層は、三浦層群を代表する砂岩や泥岩で占められ、その上に褐色森林土壌が乗った状態になっています。

  樹林地は本来、ツバキ、シイ、タブノキなどで構成される照葉樹林帯に属していますが、大部分がクヌギ、コナラなどの雑木林とスギ、ヒノキなどの植林地からなっています。林内には、鳥類、は虫類、昆虫類などの多種多様な動物と、キク科、バラ科、ユリ科など95科約360種に及ぶ植物が生育しています。

  この公園は、釜利谷・氷取沢・金沢・瀬上の市民の森に隣接して広がる恵まれた自然環境を持った広域公園です。また、公園内にある金沢動物園では、世界の希少草食動物を中心に飼育しています。動物園内は、アメリカ区、ユーラシア区、オセアニア区、アフリカ区の生息地別の4大陸に分けられ、他に家畜のいるほのぼの広場やカブトムシの森、バッタの広場があります。しいの木山展望台からは東京湾、房総半島、富士山を眺めることができます。

海の公園



  海の公園は昭和63年7月にオープンした人工砂浜で、横浜市唯一、海水浴、潮干狩りが楽しめる砂浜です。園内にはバーベキュー場のほか、海について学び体験する場として平成17年7月に「海とのふれあいセンター」がオープン、各種教室が開催されています。

  1月は砂浜で「どんど焼き」が行われるほか、5月の潮干狩り、7〜8月の海水浴及び8月に開催される金沢まつり花火大会等、1年を通じて各種イベント等が開催されています。




海の公園

三井アウトレットパーク横浜ベイサイド



  1,500隻のボート、ヨットが係留できる日本最大のマリーナです。アメリカ東海岸の街・ナンタケット島をイメージした街区には大型のアウトレットパークが並んでいます。




三井アウトレットパーク横浜ベイサイド
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南部市場



  市民の日常生活に欠くことのできない生鮮食料品等の安定供給と公正な取引の推進を目的に、昭和48年11月に開設されました。




南部市場

横浜・八景島シーパラダイス



  平成5年5月にオープンした面積24万平方メートルの人工島で、水族館・ホテルのほかブルーフォール、サーフコースター等の遊戯施設を有する複合施設です。

  平成16年7月にはドルフィンファンタジーがオープンし、平成19年7月にはふれあいラグーンが新規にオープンする等、周年観光客が訪れています。




横浜・八景島シーパラダイス

明治憲法起草地の碑



  明治20年(1887)、機密を守るために東京を離れて金沢八景の旅館「東屋」に伊藤博文、金子堅太郎、伊東巳代治、井上毅らが集まり、明治憲法起草にあたりました。




明治憲法起草地の碑
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富岡総合公園



  杉田から富岡への旧海岸線は昭和9年に埋め立てられ、その後、横浜海軍航空隊水上機基地として開設され、昭和17年10月から終戦までは飛行艇隊の基地として使用されました。日本の敗戦により米軍に接収されましたが昭和46年1月に返還され、昭和50年3月に富岡総合公園として新しく生まれ変わりました。

  公園の入り口には、航空隊基地当時の隊門が残っています。公園内には、アーチェリー場やテニスコート、運動広場などの施設があります。また、金沢区の花である「牡丹」園や桜の名所として広く知られています。

富岡八幡宮



  健久2年(1191)源頼朝が鎌倉の鬼門に当たる富岡に鬼門封じとして造営し、摂津西宮神社の蛭子尊の分霊を勧請したのが始まりとされています。鎌倉八幡宮と同じ頃建立された古社です。

  安貞元年(1227)に富岡に八幡大神が現れ、自分を祀るように託宣があり、以後八幡宮となったそうです。応長元年(1311)の大津波の際に富岡を守った八幡様として「波除八幡(なみよけはちまん)」とも言われています。

  現在の本殿は、大正14年(1587)の建立ですが、平成14年に少し位置を動かし、現在の覆殿が再興されました。

  現在慶珊寺にある大般若経600巻は、正中2年(1325)に武将の藤原貞泰が富岡八幡宮に寄進したものですが、明治の神仏分離の際に慶珊寺に預けられたものです。

  祭神:応神天皇、神功皇后、比売大神、蛭子尊、天照皇大神

野島公園



  江戸時代に金沢八景の一つ「野島夕照」と詠われた景勝の地で、広重の浮世絵では野島山の右半分が「野島夕照」、左半分が「平潟落雁」に描かれています。

  野島山山頂にある展望台からは、近くは平潟湾や海の公園、八景島をはじめ金沢をとりまく緑の丘陵地帯が眺められ、遠くには富士山や丹沢の山々、横浜のMM21地区(みなとみらい)や東京の超高層ビル群、東京湾横断道路(アクアライン)や房総半島、観音崎などの三浦半島南部の山々を見渡すことができます。

  展望台から遊歩道を下りて行くと、伊藤博文の別邸跡があります。そこから海辺に沿って南へ歩くと横浜で唯一残された貴重な自然の浜辺があり、海の公園同様に潮干狩りができます。

  さらに海辺に沿って進むと、バーベキュー場やキャンプ場があり、毎年多くの人たちで賑わっています。

能見堂



  寛文(1661〜73)に、当時の領主久世大和守広之が、芝増上寺の小院を移設し、地蔵菩薩を本尊として再興した擲筆山地蔵院のことです。

  明からの渡来僧の心越禅師が故郷の景色を偲んで、ここから見た金沢八ヶ所の景勝を漢詩に詠んだことで、「金沢八景」の場所と名称が定まりました。

  歌川(安藤)広重らが、これを題材に浮世絵を描いたことで、能見堂は広く知られるようになりました。

  現在は、享和3年(1803)に、江戸の庶民百数十人によって建てられた「金沢八景根元地」の石碑が残っています。これは江戸、保土ヶ谷、金沢、鎌倉、江ノ島の観光ルートの証だと言われています。

関連項目

   管内図
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