薬物乱用者の手記
今、私の願いは・・・・・


出典:厚生労働省「薬物乱用防止読本 健康に生きようパート31」



出典:厚生労働省・都道府県「薬物の乱用は、あなたとあなたの周りの社会を壊します!」 (平成30年発行)


出典:警察庁「平成29年度版 薬物乱用のない社会を」



出典:警察庁「平成30年度版 薬物乱用のない社会を」


薬物乱用者の告白

事例1

私は、ミュージシャンの先輩に勧められて大麻を使うようになった。しかし、地元での私の認知度があがってきた矢先、逮捕され、すべてを失った。執行猶予判決が出て、これを機にまじめな生活を始め、妻・子どもをもったが、また大麻に手を出し、離婚することになった。その後、新しい恋人ができ婚約をしたが、再び大麻所持で逮捕されることになった。

振り返ると人生の節目に際して、大麻によって人生が壊されていることに気づいた。周りの人にも多大な迷惑をかけた。今は、後悔しかない。

事例2

当時私は高校を卒業し、フリーターとして働き始めたばかりだった。慣れない生活にストレスを感じ、友人達と飲んだり遊んだりして発散していた。

そんなある日、友人からハーブを勧められた。初めてハーブを使った時は、全身で効果を感じ、衝撃を受けた。ただ、数回に一回は気分が悪くなってしまうものもあった。それでも私は、ハーブで得られる気分の良さを味わいたくて、ついつい使ってしまう日々を送っていた。

その後、捕まらないと教えられたハーブは、実は違法だと知った。しかし、私はハーブの無い生活は考えられない程、ハーブにはまっていた。

そうして、ついに私は逮捕された。麻薬取締官から、そのハーブが指定薬物と呼ばれる違法なもので、どれほど危険なものだったのか教えられ、肝が冷えた。

事例3

高校2年生のA子は、成績も優秀で、進学校に入学し、中学校からやっていたテニス部に入り順調な学校生活を送っていたが、先輩とのいざこざから、退部してしまった。

一種の挫折感から、勉強もはかどらなくなり、ストレス解消と言いながら、夜遊びを繰り返し、いつしか中学時代の友人とクラブに出入りするようになり、夜通し踊り明かしたり、時には酒を飲んだりするようになった。

ある日、クラブで知り合った仲間から、覚醒剤を持ち出され「これをやれば、すごい気持ちいいし、痩せられるよ」と言われ、周りのノリと覚醒剤を勧めてきた仲間が異常に見えなかったことから、覚醒剤を注射してもらい、たちまち虜になってしまった。そして、学校にも通わなくなり、やがて仲間と共に逮捕され、学校を退学することを余儀なくされた。

事例4

覚醒剤を使っていたころは、いつもイライラしていた。電車に乗っている時、刑事が尾行していると思い込み、後ろにいたサラリーマンを思いっきり殴って逃げたりしたこともあった。

覚醒剤を使って運転して人をはねてしまったが、覚醒剤のことがばれるのが怖くて、そのまま逃げてしまった。被害者は子供だった。

一番最初は興味本位でマリファナ(大麻)に手を出し、そこから覚醒剤にはまってしまった。後悔してもしきれないが、あの最初のマリファナさえやらなければ、と思っている。

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大麻乱用者の告白

私は大麻を所持していて麻薬取締官に逮捕されました。

私が大麻を覚えたのは大学に通っていたときでした。

その時、所属していたサークルで私によく気を掛けてくれる先輩がいて、音楽のことなどの趣味が合ったことから親しくなり、ご飯に行ったり遊んだりする仲になりました。

ある日、先輩の家に遊びに行っていた時「大麻に興味ある?」と聞かれました。大麻が違法なものであることはテレビや新聞でたまに芸能人が逮捕されたりすることを見て知っていました。しかし、その頃は好奇心旺盛な年頃でアメリカの映画等で大麻を吸っているシーンを見て「かっこいい」と思っていましたので「興味ある。」と答えました。

すると先輩が「あるよ。」と言って、自宅に隠していた植物片を取り出し、「こんな風に吸うんや」と見せてくれました。その後、「吸ってみろ」と進められ、吸ってみると、酔ったような感じになりリラックスして先輩と話をするだけで楽しい気分になる感覚を覚え「こんなに楽しくなるから大麻って良いものだ」と思いました。それから暫くは、先輩から大麻を分けて貰い週に1回のペースで吸って、大麻の仕入れについては先輩まかせでした。

ある日先輩から「だれか大麻を買ってくれるやつ知らないか?」と大麻を売りたいと言われ、いつも先輩から大麻を貰って吸わせて貰っているという負い目もありそれを手伝うことにして高校の同級生で大麻を欲しがっている者がいたので、その同級生に先輩の大麻を売りました。

その後、その同級生が警察に捕まってしまい、私も同級生に大麻を譲り渡した件で逮捕されました。当時、その事件の関連で数十名が逮捕され、大学生もかなり関係していたことから、マスコミにも取り上げられてしまいました。私も大学を退学させられました。

捕まった時に親等に迷惑を掛けたことで反省して、それから暫くは大麻と縁を切っていたのですが、27歳位のころ音楽の勉強をするためジャマイカに1ヶ月位ホームステイしたとき現地では周りの人が普通に大麻を吸っており、その国の雰囲気、国外で気が緩んで開放的になっていたこともあり、再び大麻を吸い始めてしまいました。

その国にいる間は毎日大麻を楽しみ、大麻にのめり込んでしまい帰国後も楽しみたいという気持ちから、帰国するとき大麻の種を荷物に忍ばせて持ち帰り自宅で栽培し始めました。

そういった生活を続けていた30歳のころ、警察の捜索を受けて持っていた大麻が発見され再び逮捕されてしまいました。

その時も家族等に迷惑を掛けてしまったことから、大麻を再び始めてしまったことを後悔し、大麻を止めて真面目に働こうと思い、父の薦めで電気工事士の資格を取り、35歳から大手の電機量販店の下請けの会社で働き始めました。

電気関係の仕事を始めて暫くした頃、会社の人に過去に大麻で逮捕されたことがばれてしまいました。会社側としてはアルバイトなら働かせてくれるということでアルバイトとして会社に残りました。

しかし、過去に犯した大麻の罪でアルバイトの立場に降格させられ、自暴自棄になってしまい、「世間がそういう目で見るのであれば、大麻をやってしまおう」等と思い、再び大麻栽培を始めてしまいました。

それからは、収穫した大麻を毎日のように吸煙する生活をするようになり、2年間位続けていたところ、今回麻薬取締官の捜査を受け逮捕されたのでした。当然、アルバイトで行っていた電気関係の会社も辞めさせられました。

私は大麻で逮捕されて反省して止めていたのですが、暫くすると大麻の誘惑に負けて再び使用し始めて逮捕されています。今になって考えると、大学も仕事も全て大麻のせいで失っています。大麻にこれまでの人生を奪われたようなものです。

さすがに今回は大麻とは一切縁を切るつもりですが、インターネットを検索すれば大麻の種子や大麻栽培キットを販売している業者を簡単に見つけられて何時でも栽培できるため、今後も不安で仕方ありません。

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安易に手を出した大麻の代償

私が、薬物に手を出すようになったきっかけは、友達と先輩と遊んでいたときでした。

先輩がポケットの中から大麻を出し、「吸ってみる?」と言ってきて、最初は断ったのですが、大麻を見るとタバコの様な葉っぱだったので、「これが大麻なのか。」「タバコと同じじゃん。」と思い、先輩の押しに負けて吸ってしまったのです。

それからの自分は、少しずつ大麻を吸っていくにつれて罪悪感がなくなっていったのです。

一緒に遊んでいる先輩から、「吸う?」と言われたら「はい。」と言って、大麻を吸うことが悪いことだと思わなくなり、生活の中で当たり前となっていったのです。

それどころか、自ら先輩に電話をして、大麻を購入するようになっていき、大麻を吸わない友達とは遊ばなくなっていました。

さらに、大麻を吸っていることを両親に知られたくなかった私は、次第に両親と会話をする時間が減り、距離をおくようになり、完全に周りが見えなくなっていったのです。

仕事が終わったら大麻を吸い、友達や先輩が来たら大麻を吸うなど、完全に大麻に依存していたのです。

さらに、だんだんと仕事が手につかなくなってしまい、夜遅くまで遊んでは昼近くまで寝ているという、墜落した生活になっていました。

また、大麻を購入するお金がないときには、母親に嘘をついてまでお金をもらい、大麻を購入するようになっていました。

そんな生活が長く続くはずがありません。

突然、刑事さんたちが私の一人暮らしの家に来たのです。

逮捕です。

私は、頭の中が真っ白になり、今ではこの時の記憶があまり残っていません。

気が付くと、留置場に座っていました。

刑事さんから、厳しさの中にも更生を求める期待の声をかけてもらい、両親の気持ちを代弁されたとき、だんだんと刑事さんの顔がにじみ、目から自然に涙が流れていました。

また、面会ができるようになった私に、一番に会いに来てくれたのが、私が裏切った両親でした。

面会室に入ってくるなり、母はハンカチで目を押さえ、何も語らず、肩口がひくひくとしており、泣いていることが分かりました。

父は、私を睨みつけて椅子に座り、拳を力強く握りしめ、私から目を離さず、怒り狂っていることが分かりました。

この時、私は、間違いなく父から怒鳴られると思い、恐る恐る父の目を見たのです。

すると、父の目が涙で一杯になっていたのです。

父は、一言、声を震わせながら、「ばかたれが」と言ったのです。

私は、父の声を聞いて、涙が溢れ出し、「ごめんなさい。」と言い、頭を下に向けて声を出して泣いていました。

すると、父は、「一人で生きなくていい。みんなお前を待っとるぞ。全てを話して出てこい。」と言ってくれたのです。

私は、両親の温かさと、大麻という魔物から切り離すきっかけを作ってくれた警察に感謝しています。

今ではタバコすら吸うことを止めて、両親と一つ屋根の下に住み、両親が営む農業をしながら、野菜についての勉強を始め、日本一の農家になろうと心に決めています。

大麻と決別し、両親の笑顔とうれし涙を見るために。

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心身だけでなく家族も不幸にする覚醒剤の恐ろしさ

私は、これまでに覚せい剤取締法違反で4回も逮捕されており、何年にもわたって刑務所に入っていた経験があります。

初めて覚醒剤で捕まってからというもの、刑務所を出所しては再び覚醒剤で捕まって刑務所に逆戻りする人生を繰り返しています。

軽い気持ちで覚醒剤に手を出してしまったことが全ての始まりでした。

私は、28歳のときに初めて本物の覚醒剤を目にし、それから少しして自分でも覚醒剤を使うようになりました。

当時の私は、暴力団組員と繋がりを持っており、その中の1人が頻繁に覚醒剤を使う薬物乱用者で、私の部屋に遊びに来ては覚醒剤を使う男でした。

はじめは、「何がそんなにいいのかな。」程度にしか思っていなかったのですが、その男の「ああ、いいな」などという言葉を聞いているうちに「自分もやってみたい。」と覚醒剤に興味を持つようになりました。

そのうちに男から「お前もやってみないか。」と誘いを受け、私は違法な薬物だから絶対に手をだしてはいけないという気持ちがある反面、どんな物かやってみたいという好奇心も同時に持ってしまいました。

その結果、やってはいけないと頭の中ではわかっているつもりでも好奇心が勝ってしまい、覚醒剤を使うことになってしまいました。

私が覚醒剤に手を出してからというもの、覚醒剤を手に入れるために密売人の足となって動いていた時期もあり、覚醒剤が生活の中心になっていました。

このときは、人付き合いも覚醒剤の繋がりばかりで覚醒剤から抜け出そうと考えることもありませんでした。

覚醒剤をやっているときは体も軽くなり、何でもできるという気持ちが出てくるのでとてもいい気分になるのですが、反対に覚醒剤が抜けてしまうと体が重くなり、何もできない気持ちになってしまいます。

そのため、すぐにいい気持ちに戻りたくなり、また覚醒剤を体に入れてしまいます。

当然、覚醒剤が効いているときは、食事を摂らないばかりか睡眠もあまりとらなくなるので見た目にも顔がやつれてきたり、体が痩せてきたりと、普通の日常生活を送る人とは明らかに様子は違ったはずです。

そして、私が覚醒剤を絶てずにいたところ、突然、警察が令状を持って自宅にきて、逮捕されてしまいました。

その時は家に親もいたため、親は私が逮捕されていくところを見ていましたが、とてもショックを受けた顔をしており、今でもその時の顔は覚えています。

私が逮捕されてからも自分の子供が覚醒剤で逮捕されてしまったことに対して、とても悩んだと思いますし、私も申し訳ない気持ちで一杯でした。

また、私が留置場にいるときも面会や差し入れ等面倒をみてくれたので、親にはたくさんの迷惑がかかっていたと思います。

それらのことを考えると覚醒剤は使った自分だけではなく、その周りにいる家族にもとても害のあるものです。

覚醒剤は心にも体にも負担がかかるので、今になって考えると私が覚醒剤にのめり込んでいたときは身も心もボロボロになっていました。

いつ捕まるかも分からないという不安から周囲に対して疑い深くなり、人を全く信用できなくなりました。

そんな状況で自分自身も周囲の人もめちゃくちゃにしてまで、覚醒剤を使う意味は間違いなくありません。

私は、もう二度とそんな覚醒剤に手を出さないと心に決めています。

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覚醒剤の恐ろしい依存性と再起への誓い

私は、覚醒剤取締法違反でこれまで2度逮捕されています。

1度目は、結婚していたころ、当時の夫と一緒に覚醒剤を使用したところ体調が悪くなり、病院で覚醒剤を使っていることが発覚して逮捕されました。

その時は、立っていられずに倒れ、体中が震えて筋肉が強張ったりと、死ぬのではないかと怖くなるくらい苦しい思いをしたため、「あんなもの何が良いんだ!覚醒剤なんて大嫌い!」と思いました。

この事件は初犯だったこともあり、執行猶予の判決を受けて早期に社会復帰して、夫とも離婚しました。

それから、飲食店の経営を始め、仕事と子育てで毎日充実した日々を過ごしていました。

しかし、数年して子供も成長し、お店も軌道に乗り始めると、毎日の疲れからいろいろな不満を抱えるようになりました。

子供は成長とともに私の言うことを聞かなくなり、お店では、私と考えが異なるスタッフとの間で、トラブルになることがありました。

当時の私は、親として、経営者として、何事も完璧にこなさなければならないというプレッシャーを感じ、子育てと経営がうまくいかない現実からくるいらだちが限界に達していました。

そんな時、優しい顔をして私に近付いてきたのが覚醒剤でした。

不思議なもので、私が過去に覚醒剤で逮捕されたことなど周りには知られていないはずなのに、なぜか、覚醒剤と関わりある人が近寄ってきました。

これが、覚醒剤の世界の情報網なのかもしれません。

とても疲れていた私は、「壊れかけた自分を救ってくれるのは覚醒剤かもしれない。」と思うようになりました。

初めて逮捕された時、あれほど苦しい思いをしたのに、あんなに覚醒剤を憎んだのに、何かに頼りたい一心で、私は再び覚醒剤に手を出してしまいました。

心の中では「私は中毒者じゃない。」、「やめようと思えばすぐにやめられる。」と常に思っていました。

警察に捕まるのが怖く、しばらく覚醒剤を使わなかった時期もありましたが、しばらくするとまた、体や脳が覚醒剤を求めていました。

そんな私を見透かしたように、また私を覚醒剤の世界へ引きずり込む人が近付いてきました。

これが覚醒剤の本当の恐ろしさで、中毒性です。

私は着実に、覚醒剤の世界の住人になっていきました。

そんな時、突然警察が家に来て、その瞬間、生意気ながらも成長していく子供や何年もかけて築いた店の信用、私の大切な人達とのつながりが壊れて消えていく音がしました。

自分の人生を考えた時、大切な子供とお店のために頑張ってきたはずなのに、つらいからと覚醒剤に手を出して、結局覚醒剤で大切なものを失い、これから待っているだろう世間からの待遇を思うと、絶望しました。

ところが、私が社会に戻ると、子供達やお店を守ってくれたスタッフが待ってくれていました。

私は、本当は恵まれていたことに気付くと、多くの人を裏切ってしまい、本当に馬鹿なことをしたと心の底から反省しました。

そして、何があっても二度と覚醒剤に手を出さないと心に誓いました。

これからの生活で、また覚醒剤の魔力に惑わされる日があるかもしれませんが、本当に大切なものを失わないため、精一杯努力すると誓います。

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