砂上の楼閣 ‐傲慢と後悔‐ 「丸丸警察署です。  特殊詐欺撲滅キャンペーン中です!  騙されないよう、ご家庭で対策をお願いします!」 横浜市内のとある場所を歩いていると、制服を着た警察官から声を掛けられた。 周りを見渡すと、数人の制服警官と、『防犯』と書かれた腕章をしたボランティアらしき人達が通行人に声を掛け、チラシを配っている。 (特殊詐欺って、オレオレ詐欺とかだろう?  俺はまだ四十五だぞ、俺には関係ないな。) 私は、得意先から会社に戻るところで、普段なら無視して通り過ぎるところだったが、警察官の勢いに負けて、差し出されたチラシを受け取っていた。 私にチラシを渡してきた警察官が、 「最近は、国際電話番号を使った詐欺の電話が多くなっていまして、対策として・・・」 とさらに話しかけてきたが、私は億劫になって 「すいません、仕事中で急いでいるので。」 と断って、足早にその場から立ち去った。 (一銭にもならないのにご苦労なことだ。  しかし、こんなチラシを配るくらいで詐欺を防げるのかね。) 私はそんなことを考えながら、受け取ったチラシを見ることもなく鞄に入れ、そのことをすっかり忘れてしまった。 「ただいま。」 仕事を終え、私は妻が待つマンションにまっすぐ帰った。 妻が、 「あら、今日は早いわね。あ、今日はお義母さんに電話するって言っていたものね。」 と言って出迎えてくれた。 「たまには連絡してやらんとな。」 と妻に返事をして、土産のシウマイを手渡した。 私の母は今年で七十三歳になる。 私が5歳の時に父が死んでから、女手一つで私を育ててくれた。 母は私立の小学校の教師だった。 子供の頃は分からなかったが、今思えば、昭和の時代に女一人で働いて、子供を育て上げるのは大変だったろう。 父を亡くし、まだ若かった母が再婚しなかったのは、私のことを考えてくれていたのかも知れない。 私が結婚した時、妻も母と暮らすことに賛成してくれたので、母に「一緒に住まないか」と話してみたが、母は実家で、独りで暮らすことを選んだ。 長く暮らした土地と気心知れているご近所さん、職場であった小学校も近くにある。 離れたくなかったのだろうし、『教師という仕事を定年まで勤め上げ、一人で息子を育て上げたしっかり者のお母さん』というプライドが、息子夫婦のお荷物とみられることを拒んだのかもしれない。 確かに母は年齢の割にしっかりしていると思う。 家のことはすべて自分でするし、金の管理も全て自分でやっている。 多少忘れっぽくなった気はするが、それでも、古くからのお友達からは頼られている『しっかり者』だ。 ただ、最近は、病院通いも増えているから、去年から月に1,2回は電話で様子を聞くようにしている。 私はリビングのソファに座り、スマートフォンで実家に電話を架けた。 母も携帯電話を持っているが、外出する時以外はほとんど使っていないので固定電話に架ける。 5回目のコールで母が出た。 「何度も言うけど、そんなに電話をくれなくても大丈夫よ。  なにかあればこっちから電話するし、いざとなればお隣さんに助けてもらえるから。」 何度目か分からないやり取りだが、母の声に私からの電話を嫌がっている様子はないと思う。 体の調子など、いつも通りの近況を聞き、元気な声であることを確認して電話を終えた。 「お義母さん、何か言っていた?」 妻がキッチンから声を掛けてきた。 私は「いつも通りだとさ。」と答えながら、明日の支度をしようと鞄を開いた。 パサリ と、今日警察官から受け取ったチラシが落ちた。 私は一瞥しながら顔をひそめた。 正直、警察はあまり好きではない。 別に、悪事を働いて捕まったことがあるわけではないし、警察官に恨みも何もないのだが・・・好きではない。 理由なく、なんとなく嫌いだ。 だからといって、別に、警察に協力したくないとかでもない。 警察に対して、『なんとなく嫌い』そういう人も一定数はいると思う。 だからこそ、チラシを渡してきた人の良さそうな警察官に対しては、大変だなと、思ったりもする。 チラシを拾って軽く目を通す。 『国際電話番号からの詐欺電話に注意!  国際電話の発着信をストップしましょう!  お問い合わせは神奈川県丸丸警察署045‐×××‐0110にお電話ください』 といった内容だ。 (私たち夫婦はもちろん、母だってしっかりしている。  騙されるわけがないな。) 私は、国際電話からの詐欺が多いことが記載されたチラシを丸めてゴミ箱に投げ込んだ。 あれから二週間が経った。 いつも通り、少し早めに家に帰り、実家に電話を架けた。 「はい!もしもし!」 いつもと違い、2コールで慌てたように電話に出た母の声を聞き、少し驚いた。 「どうしたんだよ、母さん。  そんなに慌てて。」 と私が尋ねると、母は 「なんだ、あんたか・・・。  何もないわよ。  友達からの電話を待っていただけ。  友達から電話が来ちゃうかもしれないから切るわね。」 と言って、母は早々に電話を切った。 私は受話器を置きながら (なんだよ、こっちは心配してかけやってんのに。  まあ、元気そうではあるしいいか。) と深く考えることもなかった。 翌月、久しぶりに実家を訪れると、母は特殊詐欺に遭い、千二百万円を犯人の口座に振り込んでいた。 私が実家を訪れた際、明らかに母の様子はおかしかった。 顔色は悪いし、チラチラと電話を気にしている。 何かあったのかと尋ねる私に「何もない」と言い張る母を説得し、話を聞きだすと 「警察に言われて、お金を振り込んだ。  振り込んでから、担当の警察官と連絡が取れなくなった。」 と母が震える声で話した。 私は最初、母が何を言ったのか理解できなかった。 しかし、母の言葉の意味を理解し始めると同時に、心臓の鼓動が早くなり、全身から嫌な汗が出るのを感じながら、一一〇番通報した。 母が警察から事情聴取を受けている。 警察官からの質問にしっかりと答えてはいるが、母の手は震えていた。 「最初は、こちらの固定電話に電話があったのですね。  ちょっと、着信履歴を見せてもらいます。・・・犯人の使っている電話番号が残っていますね、市外局番でもないし、おそらく国際電話番号ですね、最近多いのです。」 固定電話を調べていた刑事さんがそう言いながら、電話機のディスプレイを見せてくれた。 『1844××××××××110』 たしかに、不自然に多い電話番号が表示されていた。 そして、最後の三桁は『110』。 母は、最初に警察官をかたった犯人からの電話を受けた時、番号の最後が『110』だったのを見て、相手が警察だと信じてしまったようだ。 犯人は、警察官の振りをして、数日にわたって 『あなた名義の口座や携帯電話機が犯罪に使われている。』 『あなたにも犯罪に加担した容疑がかかっている。』 『これは秘匿捜査なので、だれにも話してはいけない。  話せば秘密を漏洩したことで罪となる。』 等といった話をして、母の不安を煽ってきたそうだ。 さらに犯人は、携帯電話のビデオ通話を使って警察官の制服姿を見せたり、警察手帳や母の名前が書かれた逮捕状を示して信用させると、母の資産が犯罪に関わりないことを調べる必要がある、と言って、指定した口座に全財産を振り込ませた。 先日、私が母に電話した時、すでに母は何度か犯人からの電話を受けていたらしい。 母は私たち夫婦に迷惑はかけられないと考え、黙っていたそうだ。 母は今まで、私の名前を使ったオレオレ詐欺の電話やあやしい営業の電話などを撃退していた。 私は、そんな母が、特殊詐欺に騙されるわけがないと、思い込んでいたのだ。 しかし、特殊詐欺の犯人は狡猾だった。 しっかり者で警察署の電話番号が『110』で終わることを知っていたからこそ、母は騙されてしまったのかもしれない。 「なんでこんな詐欺に引っかかるんだよ!  ちょっと考えれば、警察が捜査のために人の金を振り込ませるなんてあるわけないって分かるだろう!  こんな話に騙されるなんて、どうしちゃったんだよ、母さん!」 気付くと私は、母に向けて大きい声を出してしまっていた。 しっかり者の母親、そう信頼していたからこそ、母に裏切られたように感じたのだ。 「息子さん、ちょっとこちらに。」 私たちの様子に気付いた刑事さんの一人が、私を部屋の外に連れ出した。 「お母さんを責めないであげてください。  悪いのは、詐欺の犯人です。  お母さん本人が一番ショックを受けているはずです。  息子さんも、思うところはあるかとは思いますが、お母さんの心のケアをお願いします。」 そう私に言って、刑事さんたちは引き上げていった。 言われなくとも、母が悪い訳ではないと分かっている。 それを母にも伝え、さっきの態度を謝った。 しかし母は、何度も何度も 「ごめんなさい。私がばかだった。ごめんなさい。」 と泣きながら繰り返した。 先日、よく読みもせずに捨てた警察官から渡されたチラシを思い出した。 後で調べてみると、国際電話からの着信は無料で休止することができるそうだ。 あのチラシには、その手続きの連絡先が書いてあったのだろう。 警察署でも、申込手続の支援をしてくれるそうだ。 絶対に騙されない人間などいないのだ、私も含めて。 だからこそ、騙されるリスクを減らしておくべきだった。 私は今、そう考えながらネットで『国際電話番号利用休止』と検索している。 今後は、根拠のない自信や思い込みを捨ててやるべきことをすぐにやるようにしなければ・・・