悪魔なのか人間なのか ‐とある若者が堕ちるまで‐ 吾輩は悪魔である。 名前はあるのだが、人間には発音しにくいであろうから、『悪魔』でいい。 地上にある日本という国の神奈川県上空を漂っているのだが、なぜかというと、吾輩の仕事の管轄がこの神奈川県だからだ。 業務内容は、純真な人間の魂を悪に染めて、我らが地獄に落とすことだ。 しかし、これがなかなかうまくいかぬ。 今時、純真で真っ白な魂を持った人間などなかなかいないのだ。 どいつもこいつも勝手に地獄に落ちてくる。 しかし、それでは吾輩の実績にならぬのだ。 まあ、そのような事情で、吾輩は地上に目を向けながら漂っているわけなのだ・・・ ん? 一人の若造が目に留まった。 よく目を凝らして見てみる。 あいつの魂は… なんと!今時珍しいほど真っ白ではないか! 年のころは二十歳前後といったところ、素晴らしい! たまには本気を出して、あの小僧の魂を地獄に招待してやろう! 小僧は、この春にN県から神奈川県に引っ越してきた大学一年生だった。 よほど、周囲からの愛情が深かったのだろう、その魂に穢れはなく、大学での新生活に対する眩しいまでの期待と希望に満ちている。 ・・・吐き気がする。 古来より、若い男を堕落させるには『女』『酒』そして『金』をうまく使うことが相場である。 吾輩たち『悪魔』は、直接人間に触れることも、姿を見せることもできないが、ちょっとした偶然や運命を捻じ曲げ、人間の人生に干渉できる。 それでは始めるか・・・ 小僧は、なにやら大学でサッカーだか野球だかのサークルに入ろうとしていたが、そうはいかない。 吾輩は小僧がさわやかなスポーツ青年となることなど望んでいない。 大学構内を歩く小僧の行く先々で、突風を吹かせたり、深層心理に働きかけて、通る道を変えさせたりしてそういったサークルからの勧誘を受けないよう全力を尽くした。 正直疲れる・・・ そんなこんなをしていると、一般生徒が使わないような校舎の裏手の通路で、小僧が数人の先輩に声を掛けられていた。 どうやら飲み会や合コンがメインのサークルのようだ。 ん~、あの者たちの魂はいい具合に濁っている。 しかし、吾輩の地道な努力のおかげでまともに友達を作れていない小僧は、嬉しそうな顔であっさりその者たちについていった。 人を疑うことを知らんようだな。 小僧が連れていかれたのは、クラブという場所のようだが、ずいぶん奥まったところにあるな。 ちゃんと営業許可をとっている店なのか? あ、小僧が先輩に勧められるまま酒を飲んでいる! 小僧はまだ十八歳なのに! いいぞ、どんどん悪徳を積んでいけ! 吾輩は上機嫌となった。 純真な者が、一度悪徳の味を占めると、転がり落ちるのは早いものだ。 それからの小僧の生活は一変した。 例のサークルの連中とつるむようになってから、毎日のように飲み歩き、先輩が持っているブランド物の腕時計やら洋服やらを羨ましがり、親からの仕送りを前借りしてまでブランド品を買うようになった。 さらには、夜の街で知り合った女に熱を上げるようになった。 そして、女の気を引くために、どんどん散財するようになったのだ。 もちろん、小僧がこうなるまでに吾輩のたゆまぬ努力があったのは言うまでもない。 小僧が堕落するように頑張ったのだ。 当たり前のことではあるが、小僧の金はあっという間に底を尽きた。 親からの仕送りはもちろん、大学の学費として銀行口座に入っていた金も使い果たしていた。 あげく、実家に金の無心の電話を架け、親と大喧嘩をしていた。 親御さんもさぞ驚いたことだろう。 たった二か月の間で、息子が別人になってしまったと思えるほどの変わりようなのだから。 ついに、小僧は消費者金融に手を出した。 これで悪魔的堕落の三大要素、『女』『酒』『金』がそろった。 人間は昔から何も変わらないな。 小僧はこれから、何をするだろうか。 借金の踏み倒し、ギャンブル・・・ しかし、ここから吾輩の予想を超える展開が待っていたのだ。 小僧が、大学の学食でうなだれている。 顔色も、数か月前からすれば驚くほど悪くなっている。 風呂にもまともに入っていないのか、小僧の周りには鼻につく臭いが漂っている。 そんな様子の小僧に一人の男が近づいて行った。 どうやら先輩のようだが、やたら小奇麗な、さわやかイケメンである。 どうやら、小僧と同郷のようで、以前から憔悴していく小僧を気にしていたようだ。 少々、聞き耳を立ててみよう。 (せっかくの大学生活、このままじゃダメだよ。) (お金が必要なんだろ?SNSを使って、割のいいバイトを見つければ何とかなるよ。) (ほら、『高収入』とか『即日即金』とかで検索して探すんだ。) (俺も、よくSNSで短期バイトを探している。) (上手くすれば、数日で十万単位のバイト代を稼げるよ。) ふむ、小僧は乗り気のようだ。 イケメン先輩のリア充オーラに当てられたのか、よどんだ眼に光を取り戻し、必死でスマホに噛り付いて、SNSでバイトを探している。 むむ、さっそく一件、ダイレクトメッセージが届いたようだ。 『高収入』 『荷物の受け取り・配達』 『ホワイト案件』 『交通費支給』 『高額報酬』 ・・・ こんな虫のいい話があるのか? しかし、小僧は疑っておらんな。 金に目がくらんでいるのだろう・・・、さっそく投稿主と連絡を取り合い始めた。 どうやら、話はとんとん拍子で進んでいるようだ。 投稿主から、匿名性の高い通信アプリをダウンロードするように指示させれていたな。 投稿主は顧客の保護のためとかなんとか言っていたが。 小僧はやる気満々で、言われるがまま学生証の画像を相手に送り、それどころか実家の住所や両親の仕事、兄弟の学校まで教えている・・・。 短期のバイトを雇うだけで本当にそんな情報が必要なのか? なんだか、小僧のあまりの浅はかさに、吾輩が心配になってきたぞ・・・。 数日後、さっそく小僧の初仕事だ。 どうやら、スーツを着て指定された家に行き、封筒を受け取ってくるだけらしい。 小僧は、大学の入学式に使ったスーツを着て、出掛けて行った。 金髪に染めた髪の毛のせいで似合っていないな。 住宅街の中で浮いている。 小僧はスマホと睨めっこしながら、ようやく指定された家に着いたようだ。 小僧がインターフォンを鳴らすと、家の中から八十歳くらいの女が出てきた。 何やら切羽詰まった様子で (孫をどうかお願いします。) 等と言いながら、厚みのある封筒を渡している。 小僧は封筒を受け取ると、足早にその家を離れた。 小僧の顔は真っ青だ。 まあ、よほどの馬鹿でなければ、自分が何をしているのか気付くであろうよ。 そう、オレオレ詐欺の、金の受け取り役をしてしまったのだ。 ふふふ・・・、はははははっ! なんて愉快な光景だ! 小僧はガタガタと震えながら、雇い主と連絡を取っている。 (犯罪の片棒を担ぐとは聞いていない!) (金は要らないからもう連絡しないでほしい!) と言っているようだな。 まあ、不良大学生に落ちぶれたとはいえ、そのくらいの良心は残っていたか。 しかし、雇い主からは (おいおい、今更逃げられるわけないだろう。) (お前はもう、詐欺の共犯者だ。) (警察に捕まれば大学にいられないな。) (そもそも、お前の顔写真も個人情報もこっちは知っている。) (息子が犯罪者だとネット上にさらされたら、君の両親はさぞ、困るだろうな。) (中学生の弟さんは転校することになるんじゃないかな?) (自分の立場が分かったか?その封筒は指定したコインロッカーに入れろ、その後はこっちから連絡するまでおとなしく待っていろ。) (金を持ち逃げしようものなら、お前の実家に責任を取ってもらう。) と脅されている。 小僧の震えが一段と大きくなった。 もはや、小僧の魂は、罪悪感、後悔でいっぱいだ。 その後の小僧は、生きる屍のようだ。 大学にもほとんど行かず、雇い主から連絡があれば、周りの目に怯えながら『荷物の受け取り』に出掛けた。 しかし、小僧の口座には交通費として一万円が振り込まれて以降、報酬は一円たりとも振り込まれていない。 家に閉じこもっている間も、いつ警察が自分を捕まえに来るかと、小僧は怯え切っていた。 何回か、雇い主からの指示で仕事をしたが、ついに小僧のもとに、『荷物の受け取り』とは別の指示が届いた。 (今から、金属バットとロープを買ってこい。) (帽子とサングラスとマスク、顔を隠す準備もしたら○○駅のそばの公園に行け。) (そこには、車一台とお前のほかに三人いる。) (合流したら次の指示を連絡する。) 小僧は、観念した。 部屋を出て、そのまま近くの交番に向かったのだ。 小僧も、自分が何をやらされそうになっていたのか、気づいたようだ。 流石に、『強盗』までは手を出さなかったか・・・ 結局、小僧は特殊詐欺の実行犯として逮捕され、今は警察署の留置場の中で膝を抱えている。 すでに、小僧の魂は悪意や罪悪感、後悔、なぜ自分だけがこんな目に遭うんだといった身勝手な嫉妬により、それはそれはどす黒く染まっている。 吾輩としては大満足である。 ふと、このような素晴らしいショーを見せてくれた、小僧の雇い主の顔を見てみたいと思い、連中のアジトを訪れてみた。 とあるテナントビルの一室で、男二人が話している。 椅子に座っている男が、どうやら元締めのようだ。 (あいつは、捕まったようだな。) (まあいい、使い捨ての駒なら、まだまだいるからなぁ。) (お前も、またよろしく頼むよ。) 元締めの前に立っている男が答えた。 (金に困っていそうな奴を私たちの仕事に誘導するだけですから、簡単ですよ。) なんと、その男は、食堂で小僧に親切にしていたさわやかイケメン先輩であった。 (あいつが、いつ塀の中から出てこれるかわかりませんが、出てきたらまた使ってやればいいですよ。) (なにせ、あいつの家族の情報をこっちは握っていますから、いくらでも脅せますよ。) (しかも、あいつは私のことを親切な先輩だと思っていますからね。) (見てください、留置場から届いた手紙です。『大学は退学になった。出所したら相談に乗ってほしい』と書いてあります。馬鹿な奴ですよね?どんどん相談に乗ってやりましょうよ。) そう言って、二人の男は笑い声をあげた。 まったく、最近の人間は、悪魔よりよほど悪魔らしい。 こんな人間ばかりでは、吾輩たちは商売あがったりだ。 小僧のこの先の人生に少し思いを馳せてから、吾輩は転職先を探すべく求人情報誌を開いた。 小僧と違い、吾輩は安心して次の仕事を探すことができる。 なにせ、地獄に『ブラック企業』は溢れているが、『闇バイト』なんて恐ろしいものは無いのだからな。