鶴見警察署全景
神奈川県 鶴見警察署 沿革 
〒230−0051  神奈川県横浜市鶴見区鶴見中央4−33−9  045(504)0110
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鶴見警察署の沿革
明治40年8月 神奈川県警察鶴見巡査駐在所が設置された。
大正8年8月5日 神奈川県警察鶴見警部派出所となった。
大正10年5月16日 神奈川警察署鶴見分署に昇格した。
大正13年1月1日 鶴見警察署として独立した。
昭和12年3月 3階建ての庁舎が落成した。
昭和23年3月 警察制度の改革により、横浜市鶴見警察署となった。
昭和30年7月 神奈川県鶴見警察署と改称した。
昭和55年12月5日 鉄筋コンクリート5階建ての新庁舎が落成し、現在に至る。
 
昭和8年5月鶴見警察署昇格記念
 
昭和12年3月庁舎完成記念
 
昭和54年8月
 
現庁舎
歴史に残る重要事件
朝鮮人を保護した鶴見署長
 大正12年9月1日、関東大震災の後、「朝鮮人」暴動のデマが流れ、「朝鮮人」らの生命に危険が及ぶ状況が出来した。当時の鶴見警察署長大川常吉警部は、身を挺して署内に保護した「朝鮮人」約300人を救った。昭和28年、朝鮮人の子孫達が大川署長の顕彰碑を潮田町の東漸寺に建立し、現在も朝鮮人の子孫達や地元の小学生らが美徳を学ぶために訪れている。
横須賀線二重衝突事故(鶴見事故)
 昭和38年11月9日午後9時50分ころ、東海道線新子安と鶴見間の滝坂踏切付近で横須賀線の二重衝突事故が発生し、乗客ら161人が死亡し、79人が重軽傷を負った。鉄道事故としては未曾有の大事故に、警察本部長自らが指揮を執り、警察官1,500人を動員して事故の処理に当たった。 横須賀線二重衝突事故
昭和33年台風22号災害
 昭和33年9月20日頃グアム島付近において発生した台風22号は、最大瞬間風速75mという非常に強い勢力のまま関東地方に進み、9月25日夕方から翌日明け方にかけて多量の雨を降らせた。9月26日午後1時頃には、一部の地域において家屋が浸水した。その後も、雨量が増え、同日午後3時頃には東寺尾町の高台で崖崩れが発生し、さらに浸水家屋が増加した。25日以来、県北部の降雨量が300〜400oに達し、鶴見川が氾濫し、建物全壊22棟、床上浸水8,282棟、床下浸水7,321棟、崖崩れ67か所等被害は甚大であった。 昭和33年台風22号災害
鶴見騒擾事件
 大正14年12月21日、火力発電所の工事をめぐり地元の土木建設業者が対立、双方の関係者や多数の博徒等が武器を持ち、全国からトラックや汽車で駆けつけた。
双方合わせて、1,400人が潮田町一帯で猟銃、けん銃、刀、槍等の武器を使用し、5時間にわたる市街戦さながらの大乱闘を繰り広げ、京浜電鉄海岸臨海軌道が4時間にわたり不通となった。
 憲兵隊による準戒厳令がしかれ、本県警察官700人、警視庁の応援警察官1,300人憲兵隊50人が事件の警戒・処理に当たった。この事件で63人が死傷し、416人を検挙、353点の武器を押収し、関係者233人に騒擾罪が適用された。
 これをきっかけに「暴力行為等処罰二間スル件」が施行。「暴力団」という言葉もこれ以降使われるようになった。
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